今回は、柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院理事長)の講演を聴いた時に、とても考え方がまとまった内容を話していきます
「生命」と「いのち」、同じようですがきちんと分けて考えることができます
二つに分けて考える
私自身、基本的に物事を分けて考えることが好きです
「できること」と「できないこと」みたいな感じで考えることで、頭の整理がしやすくなります
昔から哲学とかで「二元論」とか言われたりもします
難しそうですが、二つに分けるだけです(笑)
「生命」とは
「生命」とは、今生きている自身の身体のことを言っています
一つしかなく、心臓が止まって死ぬことでなくなってしまうものです
医療では、この「生命」を治療の対象としているようなイメージですね
「いのち」とは
「いのち」とは、その方が残したものや、意思、記憶(他の人がその方を覚えているということ)などが当てはまると思います
「いのち」は分けることができ、なくなることがありません
医療では、「いのち」を治療することはできません
むしろ「いただいている」とか、「受け継いでいる」というイメージです
「いのち」を与える
あるがん患者さんとの出逢いです
その方には高校生のお子さんがいらっしゃったのですが、がんの進行によってあまり長くは生きられない状態になりました
リハビリで伺っても、しんどさのためなかなか動けません
そこで提案してみました
「お子さんにお守り作りませんか?」
その方は起き上がってくれました
理学療法というよりは作業療法なんですが、二人で手縫いのお守りを作りました
この出来事の数年後に柏木先生の講演を聴くことになったのですが、ふと思いました
「このお守りが『いのち』なんやろなぁ」
「いのち」はもちろんお子さんに受け継がれたし、私にも経験や記憶として受け継がれていきました
実際に物を残すという方法もありますが、それが全てではなく、言葉や教訓などもそれに当たると思います
以前書いた「あきらめるのは悪いこと?」でも書いたように、患者さんとの出逢いから自身が成長できた時、「『いのち』をいただいた」という気がします
臨床で大事なこと
緩和ケアの現場にいると、どうしても「生命」が限りあるものであると認めざるをえません
しかし、「いのち」は無限なので、これをしっかりと受け取って次につなげていくことが大事なんだと思います
その方が旅立ってしまっても、その方を思い出すたびに「いのち」はそこにあるし、その方は活きているんだなぁと感じることができます
日々、大事な「いのち」をいただいています
自身の成長に繋げていければと思っています
コメント
『生命』と『いのち』
拝見しました。
何だか嬉しかったです。
ホッとしました。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
届いてよかったです。
これからも気持ち込めて書いていきますね☆
『生命』と『いのち』拝読させて頂きました。
一緒にお守りを作られて良かったですね。
父の余命を私達夫婦で聞かされた日、父を看取って1年を経過した後で泣き崩れた日がありました。
私が父と同じく癌に侵された時も。。
父から実際に物ではなく言葉や教訓の方が私の心の中に根強く残っている気がします。
旅立ってしまっても父は私の心の中にいてくれると、いつも感じています。
そしてお父ちゃん今でも私は元気で生きてるよと報告しています。
コメントありがとうございます。
ひすいさんが「がん」とうまく付き合っていけているのも、お父さんの「いのち」のお陰だと思います。
そんな話をひすいさんから聞けているので、私も「いのちのおすそわけ」をいただいていると思います。